コロナが蔓延する前の年、83歳にして老眼も入れ歯もなかった父はある日、黄疸とおしっこの異常な色にびっくりして病院にいくと「十二指腸乳頭部がん」と診断されました。今でもまさか自分が癌の宣告を受けるとは夢にも思わなかった父の、いつもは大きな背中が小さく震えてたのを覚えています。たぶん父はおしっこの色がおかしかった事、体の倦怠感がなかなかとれない事、おかしいなって思ってたはずですが、なかなか病院に行こうと思わなかったのか放置してた感があります。
それから入院・手術とバタバタな日々が始まるのですが…手術から3か月。最悪の検査結果が。。。肺への転移でした。
先生に自分で「あとどれくらい生きれますかな。」と聞きました。
ちょっと待ってぇお父さん。先生気持ちを汲んでゆるくいってあげて!と心の中で祈りましたが、
「はい、余命半年です」
って、ふつうにごくふつうに宣言。父の気持ちはどんなだったんだろうな。
「最悪や」と一言。
その後、もう年齢も年齢なので手術もできない。抗がん剤治療のみの選択やったけど、父は延命治療はしない。ゆらゆらと自分に寿命にしたがって生きる選択をしました。そしてその日に昔でいうホスピスを紹介してもらい⁽まだ元気なのに早いなぁ⁾と思いながら帰宅しました。その夜、母とどういう話をしたのか、父もどういう気持ちで過ごしたのか、気にはなるけど聞けませんでした。
そんな父が通院中、診察まで時間があるのでよく近くの商店街でお昼ご飯を買って中庭のベンチに腰かけてランチをしました。ちょうど季節が秋に変わる頃の心地よい風を受けて食べる父とのお弁当がとてもおいしかった。そして、もっとこんな風に父とゆっくり話をしとけばよかったと思いました。
そんなある日、いつものように父とランチタイム
なぜそんな事をいったのか、ふいに口からでた言葉。
「お父さん、あたしが年を取って私の家族に迷惑がかかりそうやなぁと、上から見てて思ったら絶対に、一刻も早くあたしを迎えに来てほしい。ほしいんちがうわ、絶対来て!!絶対約束して!」
そしたら父は「わかったわかった。そうするわ、つれてかえるわ。」と。
その話をしてから三か月で逝ってしまったけど
「お父さん、覚えてるよな、絶対やで。楽しみに会えるの待ってるからな」
この約束があるから私は安心して老いてゆける。少しでも迷惑のかからないように生きていこう。
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